【実録・午前の部】記憶が溶ける3時間。30分で組む「荒いスケジュール」

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嵐の前の「30分」

私の朝は、静かな絶望から始まる。
工場が動き出す前の、わずか30分。
この時間に、私は工場長として「今日一日の計画」を立てる。

──いや、正確に言えば計画を立てるふりをしているだけだ。

なぜなら、この工場では「まともな計画」が成立した試しがない。
社長がいつ、どんなタイミングで、どんな顔で「緊急の仕事」をねじ込んでくるか分からないからだ。

過去、何度もやった。
納期、工程、人員配置を考え抜き、ようやく組み上げたスケジュール。
それが一言で壊される。

「これ先にやって」
「今日中にこれも入れといて」

そのたびに、胸の奥がざらりと削られる。
時間をかけて作った計画を壊される感覚は、自分の分身を踏み潰されるのに近い。

だから私は、ある結論に至った。

最初から荒く作る。
どうせ壊されるなら、壊される前提で隙間だらけの予定を用意する。

「社長に荒らされる余白」を、あらかじめ織り込んだスケジュール。
それは工場長としては失格かもしれない。
だが、私が壊れないための、唯一の防衛策だった。


「不確定要素」という名の正社員

8時30分。
取り付け担当の正社員2名が出勤してくる。

彼らは正社員だが、工場専属ではない。
現場取り付けがある日は外に出て、ない日だけ工場に入る。
工場作業は、彼らにとって「本来の仕事ではない」。

この2人に、今日の動きを説明する30分間。
それは工場長として最も神経を使う時間だ。

強く言えば反発される。
「それ、俺たちの仕事ですか?」
そんな空気が一瞬で立ち上る。

かといって弱く言えば、動いてくれない。
機嫌を損ねれば、自分たちの部署に戻り、形だけの掃除を始める。

彼らが背を向けた瞬間、工場は詰む。

だから私は、言葉を選ぶ。
選びすぎるほど選ぶ。

「お願い」に近い指示。
「助けてもらえると助かります」という回りくどい言い回し。

そこに、工場長としての威厳はない。
あるのはただ、現場を止めないための気遣いだけだ。


混沌の幕開けと、溶け落ちる記憶

9時。
朝礼と掃除が終わると、工場は一気に動き出す。

ここから私は「工場長」ではない。
何でも屋になる。

パートさん6名、正社員2名。
合計8名から、数分おきに声が飛ぶ。

「工場長、ここどうしますか?」
「この部品、何て言うんでしたっけ?」
「次、何やればいいですか?」

扱っているのはオーダーメイドの座席カバー。
一つとして同じ仕様はない。
マニュアルなど存在しない世界だ。

特にパートさんたちは経験が浅い。
部品の呼び名も人によって違う。

「あの丸いやつ」
「さっきの板みたいなやつ」

それを頭の中で翻訳し、状況を想像し、判断を下す。
一つ解決したと思った瞬間、別の方向からまた声が飛ぶ。

そこへ社長が現れる。

「この仕事、先にやって」
「あ、あとこれも今日中ね」

説明も背景もないまま、予定だけが書き換えられていく。

気づけば、私は自分の仕事を一切していない。
ただ、判断と説明と調整だけを延々と繰り返している。


12時、デスクに残された「FAX1通」

昼のチャイムが鳴る。

その音で、ようやく我に返る。
頭がぼんやりする。
午前中の記憶が、ところどころ抜け落ちている。

私はデスクに戻り、愕然とする。

本来やるべきだった仕事。
見積もり、発注、午後の営業準備。

何一つ進んでいない。

机の上に残っている成果は、送信済みのFAXが1通。

たった、それだけだ。

3時間。
誰よりも動いた。
誰よりも考えた。
誰よりも気を遣った。

それでも形として残ったのは、紙切れ一枚。

私の午前中は、
他人のための判断と教育に溶けて消えた。

工場長とは何なのか。
責任者とは何なのか。

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