パンフレットを1冊、名刺を数枚。
それを強く握りしめ、指定された会社へ飛び込む。
そこに「戦略」も「準備」もない。
ただ、社長に言われた場所へ足を運ぶだけだ。
「考えるな。脳死して動け」
そう自分に言い聞かせながら、
今日も知らない会社のインターホンを押す。
当然のように断られる。
何件回っても、その感覚に慣れることはない。
断られるたびに、
メンタルの奥に小さなヒビが入っていく。
正直、何度も思った。
「このリスト、社長が行けばいいじゃないか」
だが、そんな不満よりも、
私の心を確実に削っていったものがある。
それは、
鳴り止まない電話だった。
工場からの電話──翻訳作業という名の時間消失
車に戻るたび、あるいは移動中。
決まったように工場から電話が入る。
相手は、経験の浅いパートさんたち。
彼女たちは部品の正式名称を知らない。
「えっと……あそこにある、丸いやつが……」
「さっきの板みたいなのが……」
言葉を聞いた瞬間、頭の中で工場の配置図を思い浮かべ、
どの部品のことを指しているのかを推測する。
単語の定義から説明し、
選択肢を一つずつ潰しながら問題を解決する。
1回の電話で、
2人、3人と代わることも珍しくない。
気づけば30分。
長い時は1時間。
営業で回るはずだった時間は、
静かに、確実に溶けていく。
事務所からの電話──「断れない」無謀さ
さらに追い打ちをかけるのが、事務所からの電話だ。
経験豊富な事務員さんは、
基本的には現場を回してくれる。
それでも彼女が電話をしてくる時は、
たいてい「本当に急ぎ」の仕事が入った時だ。
納期が異常に短い案件。
そして、うちの会社には
「断る」という選択肢がない。
社長の命令は絶対だからだ。
急ぎの仕事が入るということは、
今やっている仕事を止めさせるということ。
現場の空気が重くなるのが、
電話越しでもはっきりと伝わってくる。
「また割り込みか……」
その言葉を飲み込みながら、
私は命令を伝える。
現場のモチベーションが削られ、
同時に、私自身の気力も削られていく。
営業先からの電話──蒔いた種の刈り取り
さらに、営業先で渡した
名刺やパンフレットからの問い合わせも入ってくる。
大きな案件なら社長に回せる。
だが、それ以外の細かな対応は、すべて私の仕事だ。
見積もり。
納期確認。
技術的な質問。
私は本当に営業に来ているのだろうか。
スマホは常に震え、
運転中も、見知らぬ会社の駐車場でも、
電話対応に追われ続ける。
ハンドルを握りながら思ったこと
ハンドルを握りながら、
私は何度も同じ問いを繰り返した。
「私は、今、何をしているんだろう」
営業に出ているはずなのに、
実態は“移動するコールセンター”だ。
工場の管理者としての責任も、
営業担当としての役割も、
すべてが中途半端なまま背中に乗っている。
車内に響く着信音。
それは、
私の時間を削り、
精神をすり減らし、
工場長としての誇りを
少しずつ、確実に削り取っていく音だった。
この働き方は、
誰のためのものだったのだろうか。
その答えを、
私は最後まで見つけることができなかった。

