沖縄・辺野古沖で起きた、修学旅行中の高校生を巻き込んだ転覆事故。
時間が経つにつれ、耳を疑うような事実が次々と明らかになっています。今回の玉城知事の会見、そして今後の調査の行方について、ととなりに思うところを綴ります。
1. 知事の言葉に感じる「違和感」
27日の会見で玉城知事は、事故を起こした船が「抗議船」であったことについて、「抗議船だから安全性が低いわけではない」と述べました。
しかし、遺族や保護者からは**「どうしてそんな脆弱な船に娘を乗せたのか」**という悲痛な声が上がっています。
思想と安全は別物: どんなに立派な「平和学習」を掲げていても、海の上で命を守る力(救命設備や船の構造)が伴っていなければ、それはただの無謀です。
知事の立ち位置: 知事自身も「考え方は私と共通する」と認める団体が運営していた船。これまでの「誘導」や「抗議活動」の延長線上で、安全管理が甘くなってはいなかったか。そこが一番の懸念点です。
2. 「高市政権」だからこそ期待できること
これまでの政権下では、沖縄の問題は「配慮」という名の下に、どこか立ち入りきれない空気がありました。しかし、今は違います。
海上保安庁の徹底追求: 国土交通省(海保を所管)も含め、今の政権は「法と証拠」に基づいた毅然とした対応を重視しています。
原因究明に手加減なし: 「反対運動の船だから」という忖度は通用しません。なぜあの日、あの波の中で船を出したのか。学校側との契約はどうなっていたのか。高市政権なら、そこにある「不都合な真実」までしっかり光を当ててくれるはずです。
3. 「平和学習」の美名の裏で
報道によると、保護者には「抗議船」とは伝えられず、単に「基地反対を唱える人が乗る船」と説明されていたそうです。
知る権利の侵害: 自分の子供がどんな船に乗るのか、正確な情報が与えられないまま同意を取る。これでは「学習」ではなく「連れ回し」と言われても仕方がありません。
独り言のまとめ
「事故だから仕方がなかった」で済ませていい話ではありません。
これまでの沖縄の政治状況の中で、なあなあにされてきた「安全の空白」が、一番守られるべき子供たちの命を奪ってしまった。
知事の権限や思想の壁を越えて、海上保安庁による厳格な捜査が進むこと。
そして、高市政権が「命の安全に聖域はない」という姿勢を示してくれること。
一人の親として、そして一人の国民として、ととはこの事件の決着を最後まで見届けたいと思います。
(あとがき)
思想を教える前に、まずは「安全」を確保する。そんな当たり前のことが、なぜ辺野古の海では守られなかったのか。今回の事故は、日本の「平和」のあり方そのものを問い直している気がします。
