フランス・エビアンでのG7サミットを終え、帰国した高市早苗首相を待ち受けていたのは、国政を揺るがすような歴史的な政策課題の問いかけではありませんでした。
オールドメディアがこぞって報じたのは、昨年秋の総裁選や今年2月の衆院選の際、ネット上で物議を醸した「中傷動画」を作成したとされる男性と、高市事務所の秘書の「面識」に関する、あまりにも些末な議論です。
1. 「面識」の定義を巡る終わりのない迷宮
首相がかつて国会で「私自身も秘書も面識のない方だ」と答弁したことに対し、週刊文春が「オンライン会議で接点があった」と報じたことを受け、立憲民主党を中心とする野党は、これを「虚偽発言」と決めつけ、猛攻を仕掛けています。
しかし、冷静に考えてみてください。秘書という職務上、オンライン会議で接した相手を「面識のある人(=個人的な繋がりがある知人)」と認識するかどうかは、主観的な記憶の領域に深く依存します。これを「虚偽発言」として断罪しようとする姿勢は、政治の議論としていかにも不毛です。
メディアや野党がこのような「揚げ足取り」に終始する姿を見れば、多くの国民は「他にもっと議論すべきことがあるのではないか」と呆れ返るはずです。しかし、驚くべきことに、こうしたパターンは今回も繰り返されています。
2. 国会は「人気取りの劇場」か
「証人喚問だ」「参考人招致だ」といった言葉が、まるで正義の象徴のように国会で叫ばれています。SNS上でも「有事に対応できない」といった扇情的な批判が飛び交いますが、その多くは政策的な論理に基づいたものではなく、ワイドショーの空気感に流された「感情的な反応」に過ぎません。
国会という場が、国家の行く末を決める最高機関ではなく、単なる「人気投票を巡る劇場」に成り下がっている現状。これこそが、日本の民主主義が直面している最も深刻な病理ではないでしょうか。
3. オールドメディアの「罠」を見抜く力
高市内閣の支持率が徐々に低下している背景には、メディアによる執拗な「ネガティブ・キャンペーン」の影がチラつきます。ナフサ不足のようなエネルギー問題すら「政権のせい」として無理やり紐付けられ、毎日繰り返される批判報道。
オールドメディアは、国民の不安を煽ることで支持率を下げ、政治家を追い詰めることに躍起になっています。しかし、この種の「政権叩き」のパターンは、過去数十年にわたって繰り返されてきた、いわば政治的な「様式美」に過ぎません。それに乗せられ、冷静な判断力を失うことこそが、メディアの思う壺なのです。
結び:私たちは「何」を見ているのか
この中傷動画騒動が、日本のエネルギー供給網や、次期戦闘機開発計画(GCAP)、あるいは中東情勢の沈静化といった、我々の生活の根幹に関わる課題より重要だとは、到底思えません。
オールドメディアが報じる「疑惑」の多くは、本質的な政策論議を避けるための「スモークスクリーン(煙幕)」です。私たちは、メディアが差し出す「些末な話題」に踊らされるのではなく、政権が本当に「国益」のために動いているのか、その一点を見極める必要があります。
野党が重箱の隅をつつき、メディアがそれを増幅し、国民が「なんとなく」不安を抱く――。この終わりのないループを断ち切らなければ、日本の未来を考える議論など永遠に始まりません。今こそ、私たち一人ひとりが、情報の海の中から「何が本質で、何がノイズなのか」を見分ける冷徹な視点を持つ時が来ています。
【今日のポイント】
本質的な議論の欠如: 政策課題よりも「面識」といった些末な問題が国会を占拠している。
メディアの功罪: ネガティブ・キャンペーンの繰り返しが、政治の劇場化を招いている。
賢明な主権者たれ: 煽動的な報道に流されず、何が国家にとっての「実利」なのかを冷静に判断する力が求められている。

